ふたを開ける

おせち料理
2017年おせち(紅白かまぼこだけはさすがに市販品です)。「今年はこのお椀と塗り箸で食べる」も母が宣言。

今更ながら(これくらい間があけば正月ボケとも言えないかと)今年も実家のおせち、よく食べた。毎年ほぼ自家製のおせちは、格式や伝統どうこうよりも、年に一度のラインナップを皆それぞれに楽しみにしているので、食べたい気持ちを原動力に、大晦日にかけてテンション高めでじゃんじゃん作る。

 

「今年は小分けに詰め合わせたりせず、一段一品の勢いでどばっといく」という母の方針のもと、ずっしり料理の詰まった3組にまたがるお重が大晦日の夜のうちに用意された。

翌朝の元旦、お重を食卓に運ぶと、小学生の甥が「僕に開けさせて!」と言う。慎重に段をくずして並べていくなか、一面きんとんのお重と、一面黒豆のお重が出てきた時、幸せそうな吐息とともに「はー、きんとん。くろまめ。」と甘党の彼が嬉しそうにつぶやくのを聞いてしまった。

今年ははりきってサツマイモの裏ごしなどにも参加したし、出来上がりの味見もしっかりしていたし、きんとんや黒豆が登場するのは重々承知だろうに、とおかしくなったが、それでもふたを開けて好物がなみなみと詰まっているのを目にした時の嬉しい驚きはちゃんと改めて感じるものであるらしい。

七草粥
七草粥も実家に便乗。父担当、土井善晴さんのレシピだそうで、七草の香りとお米の甘みの際立つおいしいおかゆでした。

私も人のことは言えず、たまに作るお弁当は、朝に自分で詰めたのに、昼になると、心のうちで「わーい今日はお弁当」とつぶやきながらふたを開ける。あまりに気分が盛り上がるとスマホで写真をとる。中身を知っていてこれなのだから、各種民話や神話の登場人物が、各種「ふた」を開けずにはいられなかったのも無理はない。

雪景色
全国的に寒波到来とのことで、昨日今日とここも1日マイナスの気温。今朝(1/15)の近所の林。雪雲で薄暗い。

冬の間に東京以外の場所へ出かける用事ができたので、通り道の地域で温泉宿でも泊まって久しぶりの旅行気分を味わおうかなと思って、ネットで宿情報を見ていた。見れば見るほど出てきて、最初のうちは面白がって口コミなど読んでいるのだが、しばらく見ていたら行くこと自体が億劫になってきて、寄り道案はひとまず却下にした。どんなことにも良い面と悪い面があり、それはそれで良いのだけれど、事前にその良い面悪い面の情報に触れすぎてしまったらしい。行けば行ったで自分なりの発見もできるはずだけれど、もともとそこまでの動機はなかったらしい。

足跡。
雪にくじけずに散歩に出かけたらしい犬か猫か他の何かの足跡。その後の降雪でぼんやりしてます。

そういえば、6、7年前に、学生時代以来の久しぶりの海外旅行でイギリスに出かけた際も、インターネットの普及状況が学生の頃と激変していて、どんな田舎町の宿もネットで検討して予約できるようになっていた。学生の頃は最初のうちの都市部の宿だけ取っておいて、あとはその都度適当に現地でブッキングしながら旅行することが多かった。それが、ネットでいくらでも調べられるので、せっかくの機会を無駄にしたくないという思いから、つい日本で全部情報をチェックしてしまい、その予約に沿って動いていく旅行になった。それでも現地で選択していくことは他にもたくさんあって、楽しい旅行ではあったのだけれど、その一方で予習済みのノルマをこなしていくような疲弊感もなくはなかった。

 

温泉宿の口コミを眺めながら、その時の感じを思い出し、いわば、ふたを開ける時の「わーっ♩」がなくなっちゃうんだよなあとぼんやり思った。

でも中身を知っていても、おせちのふたを開けたときは「わーくろまめ♩」なのだ。その点、大好きな建物や場所は、中身をよく知っていても、何度目でも、あるいは毎日帰る場所でも、ドアを開けるたびに「わー♩」なので、自家製おせちや自作お弁当の側ではないかと思う。

 

開けるたびに「わー♩」と思ってもらえる場所作りを目指して、日々思いを新たにしつつ、今年も心と力を尽くしてまいります。

寒の飾り
その後、昼から急に青空が出ました。去年もこの時期に目にした地元の飾り。