今日(4月25日)、近所の雪窓公園の桜がどうやらついに満開だ。出かけたついでに立ち寄ったら、いつになく散歩の人が多かった。ただ、屋外で座り込んで長時間飲み食いするにはやや気温が低いので、東京のような宴会風景は見かけない。お昼のピクニック程度なら許容範囲だけれど。
3月から入り始めた東京各地の開花ニュースや、SNSにアップされ続ける桜の写真を見飽きた頃になっても、御代田のソメイヨシノはいっこうに咲く気配がなく、佐久の実家の庭で先に咲いたコヒガンザクラの枝をもらってきて、こじんまりした彩りで気を紛らわせていたのが先々週。
川を渡ったお隣の佐久市で満開になったのが先週。標高をじわじわと上げてきたソメイヨシノの満開前線が、ついにここまで到達した。ちなみにさらに高い軽井沢はさらに遅くて、日曜に通りかかった時は開花もしたかどうか、という様子だった。
先週あたりから、南東向きの仕事部屋に差し込む朝日が一段と力強くなり、晴れている午前中は暖房なしで過ごせるようになった。
そんな朝に、何の音楽をかけようかなと棚の前に立って、ふと学生時代の友人のジャズピアニストのアルバムを思い出してかけてみた。すると本当にこの春の午前中にぴったりで、音がくっきりと立ち上がり、何度も聴いたことのあるアルバムのはずなのに、今まで気づかなかった初めて聴くようなフレーズまで耳に入ってきて、頭の中も何だかくっきり。その午前は仕事が大変よくはかどった。
あまりにぴったりなので、今度は車のプレーヤーに積んで、松本への用事の行き帰りにリピートで聴き続けた。春っぽい曲がたくさん入っているかといえばそうでもない(と、私は思います。)のに、何でこんなにぴったりなのかなと思い巡らしてみたり。エネルギーの塊のような彼女の存在から出てくる音楽と、芽吹きや開花のエネルギーを満タンにしたこの地の春が重なっているのかもしれない。
3日ほど前に、用事で東京に出かけた。その時は御代田の周りは全く芽吹いていなかったので、群馬・埼玉と進むほどに濃くなる若葉の色が目に痛いほど沁みながら移動した。都内に入れば、ケヤキもすっかり葉を出していて、毎年・毎シーズンのこととは言え、季節がひとつ進んでいて狐につままれた気分だった。
ところがこの2、3日で御代田あたりも一気に芽吹きが始まって、カラマツのこずえに目をこらせばふんわり若緑色、部屋の前の楓も小さな葉をつけている。これまた毎年のこととは言え、地面に生えて自分では枝も動かせない植物が1日でこんなに姿を変えるエネルギーの総量を思うと、山の春に畏怖の念を感じずにはいられない。