見晴らし、見通し

佐久バルーンフェスティバルにて。でかい!
佐久バルーンフェスティバルにて。でかい!

5月の連休に友人たちが遊びに来てくれた。気候も良い時期なので、近隣でぶらぶら遊んで、ということなのだが、佐久で恒例の熱気球の競技大会があると教えたら、ぜひ見たいということになった。

朝の競技スタートは6:15。離陸の様子を見るにはそれまでに会場に到着しなければならない。5月4日は苦行のような早起きをして5:40に出発した。が、途中で強風につき中止という発表があり、しかたないのでそのまま佐久のヤギ牧場に向かい、爽やかな朝日と風のなか、ヤギを眺めつつ持参したサンドイッチで朝食。翌日も競技があるので、再挑戦しようかどうしようかと相談していたら、翌日は強風を避けるため競技開始時間を5:45に繰り上げると運営側から発表があった。

長野牧場のヤギ、小突き合いながら生垣を試食中。
長野牧場のヤギ、小突き合いながら生垣を試食中。

そうすると4:40には起きないといけない。みんなひるんだものの、せっかくなので一応挑戦。。と早めに寝てみたが、やはり4:40は相当な早起き。アラームが鳴り、どうする?やめる?と地獄のような逡巡を経て、いちばん寝起きが悪そうで一言も発していなかった友人が無言で立ち上がったので、他の人も従い、ぎりぎり5:45に駐車場に到着。すでにたくさんの気球が膨らみ始めていて、それを目にした瞬間テンションが上がり、小走りで元気に会場へ。最後の1機まで楽しく見送った。ものすごく大きいものがふわりふわりと広い青空に登っていく様子を見渡していると、自分でも驚くほど心が揺さぶられ、思いがけず涙が滲んだりして。

そして高い!近くで見ると、乗るところはほんとにただのかごなんですよね。それで飛んでっちゃうんだものなあ。
そして高い!近くで見ると、乗るところはほんとにただのかごなんですよね。それで飛んでっちゃうんだものなあ。

そんな5月、2棟ならんで進んでいる軽井沢の建売別荘は、1棟目がだいぶ出来上がってきた。それとともに、南の正面にもともと生えていた木が緑になった。冬の敷地整理の際にはまったくの枯れ木で、はっきりいってややみすぼらしく、春に葉が出るのかしら、、、という感じだったが、生えている場所は良い感じだったので残してあった。それが葉のみならず花まで咲かせてしまって、しっかりシンボルツリーの役割を果たしている。2階の主寝室なんて、梢に包まれるかのようで、この木のおかげでずいぶん得をしてしまった。

花の盛りは写真に撮りそびれましたが、あまり見たことのない可憐な白い花でした。
花の盛りは写真に撮りそびれましたが、あまり見たことのない可憐な白い花でした。

昨年末に、仕事に出てきた話のなかで「軽井沢グランドデザイン」というものの存在を知った。軽井沢町が、各専門家と町の関係者からなる構想会議を組織して、50年先・100年先の町の構想を作ったもので、2016年に発表されている。そういえば役場のロビーや体育館のロビーに、独特のタッチの水彩の大きな町の鳥瞰図が飾ってあって、役場にあるものとしては変わっていて面白いなあと思って見ていたのだが、これもそのグランドデザインに基づくものだと初めて知った。

当初、オープンな階段は予算的にだめと言われるだろうなと諦めていたのだが、逆に現場からオープンにすることを提案してくれて実現できました。
当初、オープンな階段は予算的にだめと言われるだろうなと諦めていたのだが、逆に現場からオープンにすることを提案してくれて実現できました。

ホームページ上で最終的な成果物の冊子が公開されていたので目を通してみると、通り一遍でない生き生きした町の将来像が、想像力を刺激される図と簡潔ながらもふくらみのある言葉で表現され、背景には関わった方たちの膨大な作業と熱量が感じられる内容で、衝撃と言っても過言でない強い印象を受けた。冊子の最後の「委員長からのメッセージ」で、「警鐘のような問題提起あるいは展望視点であって、答えではありません。」とされるこの特異なグランドデザイン。不動産・建設業界に不穏なバブル感のある現在の軽井沢で、みんながときどき真剣に目を通した方がいいんじゃないの、と自戒を含め思うのでした。

見通そうという意思のないところに見晴らしはない。はず。

2階の主寝室の窓。
2階の主寝室の窓。

委員長の中村良夫さんは、不勉強な私でも名前を聞いたことのある(そして読もうと思いつつ不勉強ゆえにまだ著書を読んでいない)風景学や景観学の有名な先生ですが、末尾に配された渾身のメッセージも興味深くかつ素晴らしいので、ぜひ読んだ方が良いですよ。

 

・・・「軽井沢グランドデザイン『軽井沢22世紀へのはばたき』中村芳夫委員長からのメッセージ」冒頭より一部引用・・・

東京という消耗的な巨大文明圏は、明治以来、日本の繁栄を指導しながら、いつの間にか、富も人もブラックホールのように吸い取って地方を貧血させ、ひいては国全体を衰亡の淵への引きずっているのではないか。この深い反省にたった国民的な危機意識の出口を、信州の小さな町・軽井沢に託そうとする熱い志のなかから、この報告書は成りました。・・・

屋根と外壁が終わったところ。シンボルツリーになってくれた木。
屋根と外壁が終わったところ。シンボルツリーになってくれた木。