峠を越えてお隣の群馬県玉村町の敷地で取り組んできた住宅の計画が、2月の最初にめでたく地鎮祭となった。
地鎮祭をしない現場もあるので、事務所を始めてからたぶん4回目くらいの地鎮祭参加。途中で建築主・設計・施工の3者が順番に行う「鍬入れの儀」があって、勤めている時には上司を見守っていれば良かったが、今は自分で鍬を持って「えい。えい。えい。」と言わねばならない。もともと声を張れないタイプなので、ここでとっさに気張ると逆にのどがしまってむしろ危ない感じになる。以前の勤め先の所長さんは武道をやっていた方で、びっくりするような太い声が出て儀式も盛り上がったが、、などと思いながら、なるべく落ち着いて、心を込めた蚊の鳴くような声で役目を果たした。
それにしても、毎回峠を越えていくと、温度差や植物の様子の差が、小さく季節をワープするようで、おもしろくてしょうがない。朝から昼の時間差もあるものの、冬は御代田の出発時点から玉村の到着時点でだいたい8〜10度の温度差になる。今回の玉村町は、もう麦の芽が一面に出ていて、久々に見る緑の畑が目にしみた。
養蚕農家の大きな建物がたくさん残り、田んぼは麦と米の二毛作。昔から豊かなところだったんだろうなあと想像している。「日光例幣使街道」の宿場のあった地域だそうで、関係があるのかまだ知識がないが、立派な八幡宮もあって、そこの神主さんが巫女さんを連れて地鎮祭に来てくださいました。ちなみに巫女さんのいる地鎮祭は初めてです。
帰りに寄った道の駅で、整然とした畑の緑と、関東平野を感じる平さを写真に撮っていて、ふと反対側を見ると、遠くに真っ白い高い山がぽかりと浮かんでいた。
2年以上前から時々来ているけれど、浅間山がここからも見えていたとは気づいていなかった気がする(最近自分の記憶力に自信がなく。)。
冬の空気で遠くまでくっきりよく見えたのと、雪で白く目立っていたので、はっきり気付けたと思われます。
やっぱり大きいなあ、あのふもとまでこれから帰るんだなあ、と思いながら、道の駅で野菜(暖かいだけあって種類豊富で安い)と肉(上州牛、、ではなく上州麦豚。甘みがあって美味。)を仕入れて帰る。
そして1時間10分ほど走って帰着。御代田からは浅間山の南面を見ることになるので、雪は少し溶けぎみで、形も少し変わる。そして今年は気温が高いとはいえ、まだまだ茶色の世界だ。
ただ、夏からずっとあった外の工事用の材木置き場を片付けたら、その下から緑の草の芽が出て来た。置き場が霜よけ・凍結よけになってくれて生きていたらしい。いまは一面の枯れ色の地面でも、その中で確実に春を待っている植物の種や根がいて、今は信じがたいけど、確かにこのあと植物の繁茂する夏が来るんだな。しばし眺める。