年のはじめ

少しずつ整ってきた当事務所。背後の林は借景。勝手に生えたススキは雑草ですが、なんだか立派なので残してあります。
少しずつ整ってきた当事務所。背後の林は借景。勝手に生えたススキは雑草ですが、なんだか立派なので残してあります。

今年のお正月は、しっかり仕事の手を止めて休んだ。今年に限っては(と思いたい)帰省組不在の静かな実家で、昼寝がてらに2020年を年明けから思い返す。

昨年は3が日も荷造りに追われ、1月4日には、庭に工事の残材やごみ袋が積まれたままの新居兼新事務所へ引越した。その時点ではあまりに整っていなくてまだ寝泊まりできなかった。はるか昔に感じるが、ほんの1年前だ。そこから考えれば、まだまだ仕上げ未完の場所だらけだけど、だいぶ住まいらしくなった。

昨年竣工の群馬の住宅。当初からのご希望だった、みんなで使える書斎スペース。真ん中にテーブルを置きます。
昨年竣工の群馬の住宅。当初からのご希望だった、みんなで使える書斎スペース。真ん中にテーブルを置きます。

仕事面では、昨年中に竣工した2つの住居は、偶然どちらも学生時代の同級生の新居だった。いくらでも家づくりの選択肢がある中、卒業から20年も経っているのに声をかけてくれて、大事な住まいを任せてくれたことが、あらためて思い返しても本当にありがたい。コロナでリアルに友人に会うことがほとんどかなわないなか、仕事の要件ということで時々会って会話をかわせる嬉しさと、プロとして依頼いただいているわけだから普段より一層気を引き締めてきちんとしなくてはという緊張感のせめぎあい。

長野県では考えられない小麦と米の二毛作!の田んぼの目の前。現場に通っている間も畑の進行状況に興味津々でした。
長野県では考えられない小麦と米の二毛作!の田んぼの目の前。現場に通っている間も畑の進行状況に興味津々でした。

2軒のうちの1軒は、峠を越えた群馬県の、4兄妹とご両親が住む新築のお宅。引渡しの日はまだ外構も途中で、天気も悪く、一通り内部の記録写真は撮ったが、あまり竣工写真らしいものは撮れなかった。

建物完成間近のころの写真。外構はまだまだです。
建物完成間近のころの写真。外構はまだまだです。

いずれお庭が緑になってきたら、遊びに行かせてもらって、賑やかにお住まいの様子を撮らせてもらえればと思っているが、それも新型コロナウィルスの状況次第。住み始めたら散らかって撮るどころではないよ〜と言われたが、実は空っぽの建物を綺麗に撮る竣工写真にはあまりテンションがあがらないたちなので、その散らかった使い倒しぶりを窺える日を楽しみにしている。

ダイニングキッチン。書斎用のテーブルも工務店さんがストックしているスギの無垢材で作ってもらいました。
ダイニングキッチン。書斎用のテーブルも工務店さんがストックしているスギの無垢材で作ってもらいました。
子供部屋その1。同じく大工さん制作の机。部屋は2段ベッドで仕切って使っているそうです。
子供部屋その1。同じく大工さん制作の机。部屋は2段ベッドで仕切って使っているそうです。

もう1軒のお宅は、近所の佐久市で、築60年ほどの住戸を取得されての改修工事。何はともあれ耐震補強と断熱改修ということで、すかすかに解体してからのフルリノベーションとなった。そうした工事や設備一新など必要不可欠なところにしっかりコストを配分し、仕上げは最小限に。そして最後の塗装仕上げは、根性の自主施工。こちらからはアドバイスといくばくかの製品情報だけさしあげて、色選びも塗料選びもご自分たちで。

漆喰のDIYでしっとり落ち着いた居間。
漆喰のDIYでしっとり落ち着いた居間。

長かった塗装期間が終わって、住み始める前の設備の取り付けに伺ったところ、メインの生活スペースの壁は旦那さん渾身の見事な漆喰仕上げとなっていて、工務店さん共々感嘆いたしました。同じコストでまかなえる新築の住まいを取得するという選択肢もあるかもしれないけれど、この広さと、当時の骨組みの醸し出す落ち着き、年月を経た空気感は、同じコストではとても手に入らない。

改修前の1階の様子。壁が少なく引き戸の多い典型的な日本家屋。既存の建具もあちこちへ転用しました。
改修前の1階の様子。壁が少なく引き戸の多い典型的な日本家屋。既存の建具もあちこちへ転用しました。

小さいお子さん二人とご夫婦と、ともに引っ越してきた猫さん二匹も大変喜んでくれているらしく、ときおり満喫ぶりの写真をもらってこちらもにやにやしている。

 

ところでおととい見た夢は、近々クロアチアの峡谷(が本当にあるか知らないが)に旅行に行くことになっているのに、その航空券関係も、そこに行くことになった経緯も、滞在先の情報も思い出せないという軽い困り系の悪夢だった。それで必死にチケットや資料を探すのだが、探す場所はなぜか埼玉にいた時の実家の2階。そういえば、明日が建築学科の物理もしくは数学の試験なのに全く勉強していないというパターンの困り系悪夢でも、途方に暮れて机に向かっているのはその実家の2階だ。実際には建築学科のころにはもう実家を出ていたのに。

そういう話を母にすると、母は、埼玉の家は全く夢に出てこない、という。いまのところ母が一番長く住んだのはその埼玉の家のはず(もうしばらくで今の佐久の家が追い越すけれど)なのに夢に出てこないのは、大人になってから住んだ家だからというのも一因ではないかと推察している。

子供のころは、自分の家の中が一つの世界すべてだった。もちろん外界はあるけれど、それはなんというか仮の場所で、自分にとってのいちばん濃い現実は家の中だったように思う。だから半ば無意識の夢の中ではそこに戻っていってしまうのではないか。

この縁側は猫に人気が出ると思ったんですよ〜。
この縁側は猫に人気が出ると思ったんですよ〜。

そういえば前の勤め先の所長が「住宅は責任重大だよ〜住んでいる人の行動がそれで規定されちゃうんだもの」と話していた。

家の中が世界のすべての子供なら、それはなおさらだ、と、住み始めたお子さんたちの元気な様子を聞くたびに思う。私の作った図面をもとに作られた空間の中で、これから大きくなる人たちの身体と記憶と人格が形成されていく。いつも思っていることだけれど、あらためて責任の重さを感じて身を引き締める年のはじめの1月。